311東日本大震災の日。私は東京後楽園にあるLaQuaSPA(温浴施設)でアルバイトをしていた。

忘れもしない、2011年3月11日。
あれからもう14年も経ったなんて。

私は当時中央大学理工学部の3年生でした。いつも通り大学の授業を1限を受けた後、教職の6限まで時間があくのでその間をLaQuaSPAでアルバイトをしていました。

私は7階にある着衣スペースのマッサージ受付として働いていたので、当日もマッサージを希望されるお客様の予約取次を行っていました。

いつも通りの昼下がり。まったりした時間が流れ、温泉の香がほのかに香り、生暖かい場所でした。

地震発生

そして14:46。
東日本大震災が発生。

受付の引き出しがガタガタ揺れ始め、隣のエステ店の天井から吊るしてあったモニターはブンブン揺れ、今にも落下しそうでした。

LaQuaSPAのお客様は館内着でくつろぐため、「キャー」という悲鳴が相次いだり、慌てて更衣室のロッカーに戻ろうとするお客様で混雑したり、、とパニック状態。

私は従業員なのでその場にいたのですが、浴室のあかすり場の担当者から電話がかかってきて「みなさん裸なので、(予約してくださったお客様が)すくロッカーに行っちゃいました。キャンセルしておいてねー。」と冷静なお電話をいただき我に返りました。

セラピストさんたちがすぐにスマホで情報を調べてくださり、東北地方を震源とする大地震であることを把握。
少し遅れて館内放送も入ったと記憶しています。

おそらく30分くらいお客様の誘導をし、従業員はその場解散となりまし
た…。

震災後の避難…

といっても、大震災直後。交通網は既にマヒしているし、余震が続いているので帰宅中にさらに大きな地震がくるかもしれない…。

メールや電話は繋がらなかったのですが、SNSは見ることができたので、FaceBookかTwitterで現在地を発信しました。
たまたま大学に高校からの友人が大学にいることが判明。幸運にも落ち合うことができました◎
(つるたん、元気かな…?また会いたいな♡)

大学内も少しざわざわはしていましたが、一般道に比べれば全員身元が同じ大学生と分かっているためか比較的日常に近い様子でした。

避難場所に選んだのは…

このまま大学にいても良かったのですが、私たちは中央大学高等学校から中央大学理工学部に進学した者同士だったので、高校に避難をすることにしました。
同じキャンパス内にあることと、規模の大きい大学と異なり、先生方のことを全員知っていたためです。

しばらく教員室でニュースを確認させていただき、その後1階の会議室を貸してくださりました。ちょうど訪問していた保護者の方や元教員(ご懐妊中)の方と一緒に過ごせたので、仲間がいる安心感がありました。

とはいえ、設置いただいたテレビはずっと不穏な警告の嵐…。
地下鉄を中心に動いていたため、帰宅自体は可能であったものの、余震が続いていたのでその会議室で一晩留まることにしました。

高校の在校生たちも3階は女子、2階は男子、といった具合に教室分けをし、一晩を過ごす子たちが多かったようです。

落ち着いて指揮系統をしてくださった先生方には感謝してもしきれません。。

あっという間に夜になりましたが、家族との連絡は通じませんでした。ただ、父親に送っていた「高校にいる」というメールが時間差で届いたようで、母から高校に電話がありました。
大学の公衆電話から折り返すと、いつも通りマシンガントークでありながらホッとした様子の母の声を聴くことができました。

一晩泊まる旨を伝えたうえで、実家の寝室はタンスが多いから気を付けて。と釘を刺した記憶があります。

大学から高校へ戻る際、といってもほんの数十秒の道のりですが、同じ学科の院生とすれ違いました。
いつも通りのテンションで、「これから研究室で飲むんだ~♪」と言っていました(笑)こちらはやや張り詰めていたテンションだったので、そういう人もいるんだな、と驚きました(笑)
たしかに災害時だからといって、全員が全員、ずっと緊張しているといけないですもんね…?院生の余裕はさすがですmm

高校の会議室に戻り、友人とともにうたた寝しながら一晩を過ごしました。
朝になり、若干余震も落ち着き、「これなら帰宅できるかもね」と友人と話し、地下鉄を使って帰宅することにしました。

帰宅時…

幸運にも帰宅時の20分程度の地下鉄と帰宅道では余震はなく、意外とすんなりと自宅につきました。
実家は外も中も被害はなかったのですが、隣のマンションの外壁に大きな亀裂が入り、あらためて地震の怖さを感じました。

母と愛犬の無事も確認し、ただただホッとしました。

その後…

地震を感じる頻度は減ったものの、今度は原子力発電所の問題がありました。計画停電を経験したのはこの時が初めてだったと思います。。
LaQuaSPAはヒーリングバーデの天井が一部落ちてしまったこともあり、一時休業。並行して働いていたダイニングバーは客足が遠のき、アルバイトは自宅待機となりました。

震災直後は私でもできるボランティアはないか、と探し、県で主催していたボランティア募集の列に並びました。
数百人の列があり、前から順番に「募金を集める人」「物品の整理をする人」…など機械的に役割が振られました。当たり前ながら、ボランティアがボランティアを仕切るので、この募金は何に役立つのか・・・といった説明はなく、一心不乱に言われた業務に勤しみました。

その後、友人がFBに挙げていたボランティアに賛同し、避難してきた福島の方へ向けたものに複数回参画しました。

14年も経っていると記憶がぼんやりしてきてしまいますが、断片的にはっきりと記憶しています。本当に異常事態だったと思います。。
震源地の映像を見かけることもありますが、本当になんと表現したらよいか…複雑な気持ちになります。。

こんな大震災、もう二度と起きてほしくない。
ただ、、自然の驚異に人は逆らえないため、こればかりは備えながら日常生活を送るしかありません。

この経験を忘れないよう子供たちに伝えながら、今ある命を大切に生きていきたいと思います。
そして、毎年3月11日14:46には黙とうをしたいと思います。

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キャリアねんね研究家 真珠美
・小1年中兄妹・9歳わんちゃん育児中★ ・金融機関社内SE→キャリアアドバイザー→企業人事 ・国家資格キャリアコンサルタント・スリーププランナー・小児スリープコンサルタント所持 ・長男の睡眠と自身の復職・共働きに苦労した経験から、 「キャリアと睡眠を味方につけて、育児を楽しめる世の中にしたい」と奮闘中! 女性のキャリア、赤ちゃんと保護者の睡眠についてLINEからお気軽にご相談ください★